はじめまして、元芸能マネージャーのコーイチです。
渋谷の某大手芸能事務所で15年間、バラエティタレントや女優のマネージメントを担当してきました。
今は芸能界を離れ、日本海の見える静かな町で、魚釣りやサウナ、そして最近ハマっている“メロン栽培”に夢中な日々を送っています(毎日アブラムシと格闘中…!)。
このブログでは、「芸能人になりたい」「芸能界で働いてみたい」そんな夢を持つ方に向けて、現場で見てきたリアルな裏話や、プロとしての視点をお届けしています。
実は私、もともとは番組を作る側を目指していました。
人を笑わせるバラエティ番組を作りたくて、テレビ局の就職試験を何社も受けました。
でも、全部不合格。
第一志望の日テレは4次面接で落ち、ショックを抱えたまま迎えたフジテレビの面接では、「あなた、やる気あるの?」と女性面接官に言われるくらいの撃沈。
正直、夢が砕けて、自信もなくなりました。
オーストラリアに移住している見知らぬ人のブログに「英語は話せませんけどオーストラリアで仕事はできますか?」という血迷ったメールを送ってしまうほどでした。
でもそんなとき、大学の掲示板で見つけたのが芸能事務所のマネージャー募集。
「番組は作れなくても、タレントを支えることで番組づくりに関われるかも?」と思い、思いきって応募。
気づけば、芸能マネージャーとしての人生が始まっていました。
思いがけず飛び込んだ芸能界の日々
最初に配属されたのは、バラエティタレントが多数所属するにぎやかな部署でした。
ここから、私の芸能マネージャー人生が始まりました。
最初の仕事は、タレントさんの送迎。
車を運転して、都内のテレビ局やロケ地に送り届けることです。
でも当時の私は、都内の道すらロクにわからず、道を間違えてタレントさんに怒られることもしょっちゅう…。
渋滞予測とかも全然できず、何度タレントさんを遅刻に巻き込んでしまったことか…。
本当にごめんなさい。
当時は、今では信じられないような“昭和の名残”がまだまだ残っていて、
- 忘年会のじゃんけん大会で優勝者に現金100万円
収録中、バニーガールがプロデューサーにお酌
ディレクターがADにドロップキック
などなど、カルチャーショックの連続でした。
(注:今の芸能界ではこんなことはありませんよ)
こんな名残りが残っていた芸能界なので、同期はどんどん辞めていきました。
半年後、同期入社5人で残っていたのは、自分ともう1人だけ、という状況だったんです。
それでも私は、「タレントさんが気持ちよく仕事できるように」と、マネージャーとしてコツコツ現場を支えてきました。
きらびやかな世界の裏には、地味で汗くさい現場があります。
でもそれこそが、芸能界の“リアル”なんです。
それでもマネージャーを続けてよかった
怒られたり、理不尽なことがあったり、カルチャーショックの連続だった芸能界。
それでも地道にコツコツ仕事を続けてきて、本当によかった——そう思える瞬間が、いくつもありました。
たとえば、
レギュラー番組7本・CM契約5本を抱えるまでに成長した女性タレント。
新人だった頃から担当して、一緒に悩み、泣いた日々を思い出すと今でも胸が熱くなります。
また、まったく無名だった若手俳優が、たった1年で3本の連ドラに出演が決まったとき。
現場でセリフが飛んで落ち込んでいた彼に、何度も言葉をかけ、少しずつ自信を取り戻していった姿が忘れられません。
もちろん、マネージャーの力なんて微々たるものです。
正直言って、売れる売れないはタレントさんの力に依るものが大半です。
それでも、一緒に悩んで、苦しんできたタレントさんが日の目を浴びるようになるとまるで自分のことのように感動してしまいました。
マネージャーの仕事って、表に出ることはありません。
ぶっちゃけ、タレントさんも知らないところで泣いたりしてる部分も多々あります。
でも、タレントの努力を一番近くで見守り、支えることができるのは、私たちしかいないんです。
その裏側に寄り添えること、そしてタレントが自信を持って輝いていく姿を見られることが、何よりのやりがいでした。
このブログを読んでくれるあなたへ
芸能界に興味はあるけれど、一歩を踏み出すのがこわい。
芸能人に憧れるけど、自分にそんな才能があるのか不安——。
そんな気持ち、よくわかります。
実は私も、最初はただの「テレビ好きな学生」でした。
このブログでは、華やかなだけではない芸能界のリアル、現場のやりがいや苦労、そしてチャンスをつかむために必要な考え方などを、私自身の15年の経験からお伝えしていきます。
芸能界は、ただ「特別な人」だけの世界ではありません。
本気で夢を追う人には、必ず道が開けていきます。
このブログが、あなたの一歩を後押しするヒントになれたら嬉しいです。